オートポイエーシスには(少なくとも)3つの流派があるらしい

より。


オートポイエーシスについて勉強する上で注意しなければならない点として

  • ヴァレラ
  • マラトゥーナ
  • 河本秀夫

で、それぞれオートポイエーシスに対する考え方が違うらしいです。
誰のオートポイエーシスを学ぶのか、それが大事ということで。
ヴァレラとマラトゥーナはオートポイエーシスの本を共著で出していますが
その本を書いている時点ですでに両者の意見の違いは明らかだったそうで。


現時点では、若干興味があるという程度なので
読むのにコストのかからない日本語の

哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題

哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題

だけを読もうと思っているのですが、あくまで3流派のうちのひとつである
ということを心に留めておかないといけない、と。

魯山人は貧乏な海原雄山

日曜美術館で「魯山人海原雄山の源流みたいなもの」という発言があったらしいのでメモ。
言い得て妙だな、とやけに納得。
<追記>
と思ったら、そもそもモデルが魯山人はてなダイアリーキーワードに書いてありますね。
日曜美術館はなぜ、そのあたりを濁したんだろうか?
通説だというだけで、作者が明言したわけではないのかな?

モダリティとは認知そのものである、といってしまうと抽象的過ぎるけど

モダリティを「心的態度」と呼んでみたところで
脳の機能としてモダリティとそれ以外を切り分けることができるとは正直あまり思えず
認知そのものと考えざるを得ないような気が。
とりあえずは工学的に使い勝手のいい概念として定義づけることが最優先ですが。


なにげに、英語のWikipediaでのModalityは注目に値するのかも。
http://en.wikipedia.org/wiki/Linguistic_modality

フェルミ推定とは無作為抽出と不確実性を無視し線形性を前提とした統計

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E6%8E%A8%E5%AE%9A


単に「フェルミ推定」という言葉を覚えたいからメモしただけなのですが
せっかくなので、フェルミ推定とは何か自分なりに考えると
タイトルの通りになる、という話です。


逆に言うと、自分のフェルミ推定の過程の中に
バイアスとばらつきと非線形性がどれだけ紛れ込んでいるかということに
気を払うことは無意味ではないかもしれないですね。

自由主義の系譜を物凄くざっくりとメモ

まずはWikipediaのリンクを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9


後は『現代思想』1994年4月号の「リベラリズムとは何か」から
ちょろっとキーワードを抜き出しただけの代物。
備忘録ですね。正確な引用ではないのですがあしからず。

ジョン・ロックによる古典的自由主義

  • 自然法として、他人の生命、健康、自由、財産を犯してはならないという制約

の必要性と

  • その制約以外での個人への干渉をしてはならないという政治に対する態度

を持っている。
ジャン=ジャック・ルソーはこれに近い?


それに対し、よりラディカルに公権力の存在を否定するのがリバータリアニズムだが、この起源はアナーキズム
リバータリアンの代表の一人がノージック
ハイエクリバータリアンかもしれない。

後は、自分の過去の記憶として
アマルティア・センやジョン・ロールズ
ジョン・ロックの流れを継いだ古典的自由主義の復興と捉えられるかも
リバータリアンに反発し自然法の考え方を発展)。


<追記>
なんか、はてなキーワードの説明と一部、食い違うなあ。
個々の学者の思想をそれぞれ理解することが大事であり
こういう大雑把な括りはあくまで勉強のとっかかりにしか過ぎない
ということを自覚していれば問題ないとは思いますが。

所有権と商標権と特許権と著作権の違い

著作権法入門

著作権法入門

この本によると

  • 所有権は有体物
  • 商標権は標識
  • 特許権は創作の伝達対象
  • 著作権は創作の伝達手段

を対象とするものだそうです。
著作権特許権の違いは、本来は
特許権が産業的・技術的
著作権が文化的・芸術的
という区分けだったのが、今やその基準による区分けは不可能となり
現状ではこのような区別らしいです。


これだと、特許権著作権の違いがピンとこないのですが
本で取り上げられていた例では、コンピュータプログラムのうち
プログラムのコードは著作権の対象
プログラムの機能は特許権の対象
となるそうです。


ということは、例えば
Aというプログラムがあり、それに対して特許権だけかかっていた場合

  • Aのコードを利用して、Aとは異なる機能のBというプログラムを作る分には問題ないが
  • Aのコードを全く知らずに、Aとまったく同じ機能のプログラムCを作るのはNG

逆にプログラムAに対して、著作権だけかかっていた場合

  • Aのコードを利用して、Aとは異なる機能のBというプログラムを作るとNGだが
  • Aのコードを全く知らずに、Aとまったく同じ機能のプログラムCを作るのは問題なし

なのでしょうか。


だとすると、特許権だけかけて公開するという
オープンソースの公開方法がありそうですね。
クリエイティブ・コモンズのサイトに行けばそこら辺のことが書いてありそうですが
http://creativecommons.jp/
現時点ではここまでで。

圏論’書くのはマジで1年後くらいにします

bonotakeさんとのやり取りで
- 個々の命題では意味が取れなくても、文脈から意味を解釈してもらおうという書き方は通用せず
(よく考えると、単に哲学に対する理解や考え方が根本的に(言い過ぎかな)違うので、同じ単語や句、節が同じ意味を持たなかっただけですね)

  • 自然言語による会話を成立させることができず
  • そうなると圏論’以外の部分を書くのに相当労力がかかりそう

圏論’のみで終始する話にはならないので)
ということを学んだので、少なくともリアルで余裕があるときじゃないと書けそうもないです。


ただ、これで書かずじまいで終わると
「やっぱり逃げたよwwwうはwwww」
って言われそうなので、必ず書きます。


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先ほどまでこの下に愚痴っぽいこと書いてましたが
余りにも幼稚だったため消しました。
読んで不快になった方がいましたら申し訳ありません。


というか、このエントリー自体、恥ずかしいので消したいところですが
自分への戒めも込めて晒しておきます。
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