温暖化で科学的に論じられることは少ない

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date2&k=2007101101097
ゴア氏の「不都合な真実」に科学的に正しいとはいえない情報が
含まれているというお話。
結構重要な箇所が該当するようですね。
意図的なのか、本当に誤ったのかわかりませんが
そもそも温暖化というのは
その信憑性について科学的に判断するのは
なかなか難しい分野なので、危機を訴える側としては
ある程度の誇張は仕方ない部分もあるでしょう。


この問題に関連して、小島寛之氏のコラム
「今こそ、科学についての哲学を──「地球温暖化」の見方」
について。
「科学哲学の市民レベルでの普及が必要」
という意見には、まったくもって異論がないのですが
地球温暖化大陸移動説などの
科学的に論じることが難しい事象を紹介した後

そういうことを考える上で、科学についての歴史と哲学は、とても大事だと思う。歴史は、自然科学的な結論を与えてはくれないけれど、(だって時代も環境も状況も異なるから)、でも自然科学には逆立ちしたって語れない何かを教えてくれるはずだから。

この最初の一文と二つ目の文は絶対切り離して考えるべきです。
「歴史は、自然科学には逆立ちしたって語れない何かを教えてくれるはずだから。」
ということを科学の徒が認めてしまっては駄目です。
「科学には真実を語る上で限界があるのではないか」ということを
多くの科学者が感じ始めている今こそ
その限界を打破するため、科学の道を追求することが
科学者にとって大事なことだと思います。
「歴史や他の知的アプローチでは超えられない壁を越えたのが唯一科学だ」
という考えは、頭が固いと、小島氏は思っているんでしょうが
頭が固いことこそ、科学者に求められる真摯さだと小生は考えています。


で、何が限界なのか、という話になったとき
どうしても、反証可能性の話へと進んでいかざるを得ないのですが
この話についてはどうも行き詰まりを感じているんですよね。
まあ、今後も内省を続けていきたいな、と。