ランキング更新せず 文芸的な、余りに文芸的な

芥川龍之介が自身の小説観を書いているような、いないようなエッセイ集、「文芸的な、余りに文芸的な」。
その中に、次のような一節が。

――僕等は皆ペエタアの言つたやうに確かに「いづれも皆執行猶予中の死刑囚である」。この執行猶予の間を何の為に使ふかは僕等自身の自由である。自由である?――

この死生観は、後ろ向きですけど公平ですよね。どんなに豊かでも幸せでも、どんなに貧しくとも病んでいても皆死へ向かうのみ。


ちなみに、小生はこれまで、最上の小説は「話らしい話のない小説」になっていなければならず
志賀直哉の作品(「暗夜行路」か「城の崎にて」のどちらか)がそれを体現している
ということを芥川龍之介が主張しているんだと思い込んでいたのですが
(確か、誰かの文章読本にそう書いてあったような。それこそ谷崎潤一郎でしょうか)
実際に読んでみると、そんなことは主張していませんねえ。
いかにも持って回ったような言い方なので、真意を掴みにくいのですが
「話らしい話があるかどうか」ということは良い意味でも悪い意味でも小説の価値を測る上で重要な意味を持たない。
ということでよいのかと。