直感と確率はしばしば食い違う以前にそもそも確率に関する理解が薄い

まずはこの記事。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/technology/science/CK2007050802014410.html
そしてこの記事。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/technology/science/CK2007051502016263.html
記事内では「40人の集団で自分と同じ誕生日の人がいる確率」と表現していますが、正確には
「自分を含めて40人の人が集まったとき、自分と同じ誕生日の人がいる確率」ですよね。
新聞の編集者が曖昧な表現を用いるのは如何なものか、ってそのようなモラルは希薄ですかね。
その上で、計算方法がまったく異なっているという体たらく。
ちょっとネットで検索すればわかりそうなものなのに。
おそらく、自分が大学受験において確率論で苦しんだことなどすっかり忘れ(私大なら苦しんでない可能性あり)
「確率なんてちょろい」って思っているんでしょうね。


まあ、間違えて計算してしまう気持ちはわかりますけどね。
確率論は、実は論理的に考えることが難しい非常に厄介な学問分野なんですよね。
面白い例としてはサンクトペテルブルクパラドックス(既述か?)。
http://www.ice.nuie.nagoya-u.ac.jp/~h003149b/lang/StPetersburg.html
コインを投げて1回表が出たら10円、2回連続で表が出たら20円、というように
表が連続で何回出たかという回数×10円
のお金がもらえる。ただし一度裏が出たらその時点で終了、というゲームに
あなたはいくらまでだったら参加料として支払ってよいか、という問題があるとします。
ちょっと確率をかじった人ならば、このゲームで得られるであろう金額の期待値を計算し
それより若干安い額までだったら払ってもいい、と考えるでしょうが
実は、この期待値を計算するとなんと無限になってしまいます(詳細はリンク先参照)。


当然1億、10億払ってでもこのゲームをやりたい!などという人はいるわけもなく
確率の計算の方になんらかの問題があるのですが
これは高校の確率の授業程度の知識では到底わかるものではありません。
いやー、難しいんですよ。確率って。
高校、大学で理系分野を避けてきた人が公の場で数理の話をするときには
相当慎重になったほうがいいですよ、という教訓話です。


最後に脱線ですが、新聞上での曖昧な表現について。
新聞には、その文で伝えている事実関係の情報に嘘がなくても
その文に対する心象をうまく操る手法がたくみに用いられています。
その手法の中核となるのが(この日記でメインテーマとして取り上げたいと思っている)モダリティなのですが・・・
語りたいけど簡単に語れるものではないんですよね。
気持ちが入っていることほど、語ることに及び腰になるというのも皮肉です。