日本語モダリティ論の難しさ

モダリティって何?
と聞かれると、小生はこの研究を5年もやっているにもかかわらず
未だにはっきりと答えられません。
言語学、日本語学の世界で相当の期間議論され続け
未だに確たる定義が定まっていないという点において
数多ある概念の中でも、モダリティの特異性は際立っていると思います。
社会学系では、ソーシャルキャピタルなどなど、曖昧な概念がたくさんありますが
それはまた別の話。


とりあえず、典型的と思われるモダリティ形式を下に2つ示しますと
(1) 小泉首相靖国参拝をするべきだ
(2) 小泉首相は8月15日に靖国参拝をするだろう
これらの文における「べきだ」や「だろう」がそれに相当します。


この2例だけで、モダリティとは何かを類推しろと言われても
困るかもしれませんが、いくつかの共通点を挙げることはさほど難しくないと思います。
しかし、この一見するとわかりやすい特徴を持っていそうなこれらの典型例こそが
モダリティ論に大きな混乱を生んでいるのです(断言・・・したらまずいかな)。


モダリティ論については今後もちょこちょこ書いていきたいですね。
下記は、モダリティに対する私の考えのベースとなる本およびそれに対する批判を行っている本です。
モダリティ論には山田文法以来の歴史的な変遷があり
また90年代には非常に議論が盛り上がった分野なので、正確に把握するには相当膨大な本を読む必要がありますが
大雑把に分けてしまうと2大派閥であると言えるので、この2冊は各派閥に属すものとして紹介しておきます。

モダリティの文法

モダリティの文法

文法と意味I

文法と意味I