opechumanが哲学者をデタラメ書く集団だと罵倒している件について

まず、事態のわかっていない方はこのエントリーおよびコメを読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/opechuman/20100204#1265304319


はい。読んだと仮定して話を進めます。このコメで自分は

自分は基本、哲学者はソーカルの主張に同意してない人たちだと解釈しているので、結局、ソーカルの主張を意に介さず論文を書く学者が是か非かという問題だと思っています。


これの点に限って言えば、郡司さんが特別悪いというわけではなく、哲学界の文化ですよね。

と言っています。これは明らかに言い過ぎでしたね。すいません。


ただ、自分の把握している限りでは、世の哲学者たちは、「ソーカルの主張を意に介していない」ことに匹敵している罪を犯していると、あえて言わせてもらいます。


それは何かと言いますと

  • 現在存在する論理のフレームワークでは哲学の問いに答えられそうもない件について、どう考えているのか

という点について、説明責任があるんじゃないかということです。


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<追記1>
哲学の問いをある程度断定して書いてしまっていいのかという不安があったので
ここをうやむやにしたまま話を進めてしまいました。
哲学の問い、何でもいいんですけど、例えば
「なぜ我は思うことができるのか」
「なぜ我は赤いリンゴを「赤いリンゴ」青いリンゴを「青いリンゴ」と認識できるのか」
という類の問いです。
俺は哲学の問いに全部答えられるぜ!と自負している人が
困るような質問ならなんでもいいんじゃないかと。


<さらに追記>
どんどん追記していますがご容赦を。
脳の中の小人問題を取り上げておきます。
人文系の学者の方が、脳の中の小人問題は結構簡単に解けるとおっしゃっていますが
http://soundsteps.jugem.jp/?eid=125
それは科学的なアプローチで「解ける」とおっしゃっているわけではなく
科学とは異なる「解く」ための手法があるんでしょうね。自分は知りませんが。
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私が把握している限りでは、哲学的問いに対する論理の可能性を高く評価しているのは、量子力学相対性理論の統一理論によって脳の働きが説明できるんじゃないか(大意)と考えたロジャー・ペンローズ(リアルタイムで追ってないので現状を把握しているわけではないです)くらいじゃないでしょうか。ペンローズは別に哲学者じゃないですし。


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<追記2>
コメントで、bonotakeさんが数理論理学を上手に使っている人はたくさんいるとおっしゃっていますが、数理論理学を「上手」に使うということはどういうことなのでしょうか?
最初から最後まで徹頭徹尾、数理論理学の枠組みの中で語らないと意味ないのでは?数理論理学を上手に使うことと、数理論理学を使わないことに差があるとは思えません。
一瞬でも(数理)論理学のみで語りきれない部分が出てくると、その時点でなにかしらの論理の飛躍が生じてしまいますよね。それでは意味がない、というのが私の意見です。
数理論理学から1ミリもはみ出さずに論じるか、数理論理学から逸脱するか
その2択しかないのではないでしょうか。
で、私の印象では哲学者以外の方で哲学を論じている人は、逸脱することに気づいておらず
哲学者の方は、(数理)論理学から逸脱しない大事さに気づいているにもかかわらず
ある人は仕方なく、ある人は確信犯的に逸脱しているんだと思っています。
それは数理論理学を重んじている方にもおそらく言えることで。
そういう方々は、理数系の方と議論したり理数系の学会に投稿するときには
意識的に逸脱した話はしないよう配慮しているのではないでしょうか?
現状では逸脱せざるを得ない状況を、革新的な公理系の提案によって打破してやろうという方はいるかもしれませんが。


哲学者は、他の分野の学者の方よりも論理を重んじる方々だと思ってますし
そうでなければ困ります。しかし、そうであるからこそ

  • 数理論理学をいくら上手く使っても哲学の問いにはたどり着けないんじゃないか
  • 上手に使うことで、使わない人と比べて哲学の問いにたどり着く上でどういうメリットがあると言うのか

という自分の問いに真正面から答えてくれる人はいないのか
と哲学者の方々に問いかけたいわけです。


で、そんな中、ペンローズは統一理論を使って脳の仕組みを明らかにできれば
ある程度は哲学の問いに近付けるんじゃないか、という
ある種の「トンデモ」仮説を提示した、というのが私の理解です
(統一理論の全貌が明らかになる前にトンデモと断定してしまうのは
失礼だとは思っていますが)。
正直、ペンローズの言っていることは
間違っていると言える類のものではないですが
少々的がずれているんじゃないかと自分は思っています。
そのペンローズに完璧に同調している哲学者は少数なんじゃないでしょうかね。
ペンローズの意見をそれこそ比喩的に用いる方はいるかもしれませんが。

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自分自身は、よほど画期的な公理系が提示されない限り、哲学的な問いに(数理)論理学で答えるのは厳しいんじゃないかと考えており
向こう1000年くらいはそんな公理系出てきそうもないな、という気がしています。


決して数理論理学の枠からはみ出てはいけないという前提で哲学に臨んでいる人は、(<追記3>もしいらっしゃれば、)もはや反哲学*1の旗を掲げて、数理論理学で哲学の問題をクリアできると考える根拠を広く周知して欲しい、と願っています。


大変なことを要求しているような気もしますが、哲学は全ての学問の王様なので、そこは頑張ってほしいところです*2

*1:この言い方は、木田元さんおよびハイデガーを意識してます。違うようで問題の根っこは一緒なんじゃないかと想像しています

*2:実はお前が勉強不足なだけだ!という突っ込みを期待してます。ついでにこの本読め!というのもついてたら最高です