記者クラブ(というか日本の新聞)の歴史

吉見俊哉水越伸(2001)『放送大学教材 メディア論』,pp71-72より。

 今日の日本の新聞のあり方は,日中戦争から太平洋戦争にいたる戦争時の言論統制政策によって,深く枠付けられた。二つの事例をあげておく。

 第一に,一つの県に,ほぼ一紙の代表的な地方新聞があるという状況,いわゆる一県一紙体制は,それまで多様に発達していた各地の地域新聞が,戦時中の1942年(昭和17年),いわゆる新聞統合が行われ,一本化されていった結果として生み出されたものだった。
(中略)
 重要なことは,新聞統合,用紙統制が結果として,戦後の日本の新聞産業の発達を大きく助長することになったという点にある。とくに一本化された地方紙は,県域の広告市場をほぼ独占することができたため,産業的に著しく発達することができたのである。また現在の広告業界で寡占的なシェアを誇る電通も,一連の言論統制政策によって生み出された。
(中略)
 第二に記者クラブ制度である。記者クラブは,政府や行政機関,各種団体,企業などに出入りする記者が,互いの親睦のために,その内部に自主的に結成した会だと言うことになっている。しかし実態は,各種ニュースソースに接触するための前線基地となっており,しかも一定の資格を持たないメディアは参加できない閉鎖的な仕組みをもっている。このことがニュースソースと記者の癒着や,権力側から提供される情報を一方的に受け取るだけで,いわゆる発表ジャーナリズムに陥りがちであることなど,さまざまな弊害が指摘されている。

これ,大学の教材ですよ。なんという攻撃的な内容なんでしょう。吉見先生,ついていきます!


ちなみにこの本は,人力はてなで「メディア論を勉強するのにいい本ない?」と質問して
教えてもらった本の一つです。
独学での勉強に人力はてなはすごい使えると思います、はい。