ソーカル事件と論文のランダム生成

似非科学、もしくは科学を騙った欺瞞についてです。
社会科学などの学際領域で活動している研究の徒にとって
この問題は、克服しようと思ってもなかなか出来ない厄介なものです。
まず、有名な話では「ソーカル事件
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html
そして、最近の面白い話では「ランダム生成した論文が受理」
http://slashdot.jp/articles/05/04/19/0941201.shtml


細部まで見れば、両者の抱える問題点は異なるのですが
明らかな共通点もあります。
それは
「アナロジー、メタファーを許容する人文系の領域と
それをまったく許さない科学の領域との融合において
厳密な論理の破綻を補う類推行為が許されてしまっている」
という問題点です。


人文系の領域では、類推、論理の飛躍を徹底的に取り除く
ということに執着しません。
それに対し、科学においては論理の厳密さが一つでも破綻すると
体系自体の正当性が失われてしまうため
徹底的に排除することが求められます。


そのため
「社会科学」なんてものは
水と油を混ぜようとしているようなもので
その存在自体が根源的に成立不可能なんじゃないか?
という疑問を抱く人もいます。


それに対して
「いや、論理の厳密さを追求すれば社会科学の正当性は
担保されるはずだ」と考える人もいると思うのですが
ここが、過去に温暖化の話で触れた
「科学の限界」と関連してくるんですよね。。。
社会を科学で記述できるのか?この問いは
哲学的ではありますが、本当に重要な問いだと思います。