経済学で何がわかるのか

朝日新聞のコラム「小林慶一郎のディベート経済」で
「経済学で何がわかるのか」
というテーマが取り上げられていました。


小生は先に「昨今の経済学は記述力重視で予測力がない」という主旨のエントリーを書いたので
「お、前に書いたエントリーと関連するネタかな?」と思い読んだのですが
経済学の基礎的な話に終始し、期待とは異なる内容でした
(「効率性については、現代の経済学の考え方はほぼ確立していて・・・」云々の話は、どうなんですかね?
企業の効率性はいいとして、消費者の効用関数のあり方については議論の余地が残っている気がしますが)。
ただ、以下の部分は多少関係しているので引用します。

 一方、財政政策や金融政策といったマクロ経済政策の分野では、経済学の役割についての合意はなかなかできないようだ。米国ハーバード大学のグレゴリー・マンキュー教授は、過去半世紀のマクロ経済学の発展を振り返って次のように批判した。マクロ経済学は、理論の厳密化に傾倒しすぎて、現場で役立つ政策技術としての有用性は半世紀の間ほとんど高まっていない、と。

コラムの文脈では、マンキュー教授が
理論の厳密化よりも政治の現場で使える道具を提供することが重要だと言っているかのように読めますが
本当にマンキュー教授はそのような主張をしているのでしょうか?
本来、科学の分野で理論の厳密化が批判されるなんてことはないわけで、「理論の厳密化」は一種の比喩ではないかと。
おそらく、記述力ばかり重視し、普遍性を見失ったまま不必要に複雑化していったモデルに対する皮肉なのではないでしょうか。
マクロ経済学者はより科学としての姿勢を徹底するべき、ということをマンキュー教授は言いたかったではないでしょうか。
・・・いや、マンキュー教授についてまったく知らないので、まったくの妄想です、はい。