なぜ経済破綻してでも子猫を飼おうという気にならないのか

<子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府
てっきり沈黙を守るのかと思っていたのですが、坂東氏が新たに毎日新聞へ寄稿をしたとのこと。
記事自体は、あまり新規性のあるものでもないのですが、せっかくの機会ですので、改めてこの問題に対する自分の意見を整理してみます。

  1. 坂東氏の思想・価値観
    • おそらく自身の飼い猫に対しては、人間と同等の権利が存在するべきだと考えているのだろう
    • それに対し、飼い猫の子供に対しては冷酷である
  2. この問題に関する周辺知識
    • 動物愛護の立場にあるイデオロギーとしては、主に動物の権利と動物の福祉がある
    • 前者は、動物が人間と同等の権利を得ることを目指す
    • 後者は、動物の苦しみを取り除くことを目的とするが、人間と同等の権利を持つべきだとは考えない
    • 両方とも、避妊手術は肯定している
    • 避妊手術は、動物の福祉にとって、社会的責任も果たせ動物も(表面上は)苦しまないという、これ以上ない最善手である

⇒これらの情報・推測を踏まえた結論
坂東氏は、避妊手術の残酷さを訴えたいのでしょう。
特に、動物に人間と同等の権利を与えることを目指す動物の権利においてすら、避妊手術が肯定されている現状を鑑みると
避妊手術否定論は極めて貴重なのは確かです。
動物の権利が避妊手術を認めていることには、小生も当初、違和感を覚えました。
ただ、坂東氏にとって本当に人間と同一の権利を与えたいのは、自分の飼い猫のみだ
ということを露呈してしまっていることで、致命的に説得力が失われています。
仮に坂東氏が、自分の飼い猫のみならず、猫一般に対して人間と同様の権利を与えるべきと考えているとしましょう。
だとすると、坂東氏は自分の飼い猫の子供を崖下に落としているわけですから、人間であってもその子供を殺しまくることが許されることになる。ですので、坂東氏が自分の飼い猫のことしか考慮していないことは明らか。
「自分の飼い猫については人間と同等の権利を認めるべきだが、(飼い猫自身の子供も含めた)他の猫のことは知ったこっちゃない」
という主張にしかなり得ません。それが小生としては残念です。


今回の寄稿も、それぞれの説明がより詳しくなっているだけで、基本的に言っていることに大差ないように見えます。
いくら、子猫を殺す際に心を痛めているといっても、ねえ。
猫を人間と同一視することが、避妊手術批判の原動力なのだから、殺しの正当化としては弱すぎます。


とりあえず、坂東氏には、生まれてくる子猫の面倒を全部見て、経済破綻をして欲しいですね。
飼い猫を人間以上に愛しているなら、経済破綻を恐れる必要などどこにあるのでしょうか。
そして、その上で、「野良猫としての地獄の日々を送らせることが忍びないと思い、子猫を殺しました。」
というなら、多少は説得力があるかと。