認知的不協和理論について思ったことを整理2

昨日の続きです。


で、結局、不協和ってなんなんだよ、ということなのですが
個人的な仮説は

  • 二つの相反する行動を促す信号が同時に出ている状態

だと考えます。
例えば、Wikipediaにあるタバコの事例
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
では、「煙草を吸いたい」という欲求から来るタバコに火をつけて口にくわえようとする信号と
吸いたくない、という恐怖から来る無意識にタバコに手が伸びようとする動きを抑えようとする信号とが
衝突している状態が不協和なんじゃないかと。
このとき「抑える」という行為はあくまで能動的なものである、というところがポイントで
普段、タバコを吸う人にとってはタバコに手が伸びるという動き自体は
ほとんど無意識でやってしまうと思うんですよ。それを恐怖によって意識的に抑えていると。
それに対して、吸いたい欲求自体は、意識レベルでタバコに手を伸ばさせようとするわけです。
そこで、2つの両立し得ない信号が同時に発現し、ストレスを感じると。


そして、この仮説において重要なのは

  • この信号自体は認知という概念に限定されるものではない

ということだと思います。またもやWikipediaによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5
認知は判断、解釈を伴うものですが
認知以前のレベルの、内省的な深層心理や感覚に応じて生まれる信号でも
不協和は起こりうるんじゃないかと。


ということは、認知的不協和って

  • 不協和のうち、認知に関わるものに限定したもの

という複合的な概念になるんじゃないかと思うんですよね、はい。


いやー、これで個人的にはすっきりしましたわ。
ま、機会があったらこれについて論じている論文でも探してみるかもしれないです。