映画と社会

周防監督、海外メディアへ熱弁!「痴漢摘発する前に満員電車なくせ」
このサンケイのタイトルは微妙です。記事全体を読んでください。


正直、小生は映画や小説は純粋に娯楽として楽しみたいという考えが基本なのですが
そういう考えを抱く背景に、映画の製作者や小説家が
社会問題を提起する作品を提示した際、どれほど本気の気持ちを持っているのか
どうしても疑問をもってしまう、という面があります。


社会問題、と簡単にいってしまいますが、どのような問題でも苦しんでいる当事者がいます。
それを外から眺めている第三者はどうしても当事者の気持ちを軽く見てしまう
本気で向き合えないところが出てきてしまいます。
特に、映画や小説という媒体を通すと、感情面の情報が多いためにリアリティが増し
より理解が深まった気になってしまう分、逆に怖いと思います。
中途半端に取り上げてしまうと
多くの人は、問題を理解した気になって、それで満足してしまう。
そして、一時的なブームが過ぎ、いずれは全く取り上げられなくなる
という風化現象が起こってしまいます。
小生は、映画や小説には本質的に社会を変える力はないと感じています。
ただ伝えればいい、ではどうしても限界があるでしょう。


ただ、「それでもボクはやってない」に関して、いくつかの記事を見る限りでは
今回の周防監督に、本気の姿勢を感じます。
映画によって、冤罪、そして裁判制度というものに付いて考える機会を与える。
そして、その次のステップ、社会を変えるというところにまで
進めてやろう、という気概を持っていることが伺えます。


綿密な取材に基づく、(リアリティとは異なる意味で)現実に近づけようという姿勢。
裁判員制度の導入時期に合わせた映画の公開。
その後の、公演を含めた普及活動。
映画そのものと、映画の外にある仕掛けを組み合わせて
初めて映画の効力が現実世界へとフィードバックできるのではないでしょうか。
映画を見て、その問題について考えてみたとき
現実世界で具体的な課題が目の前に浮かんでくる、という意味で
映画と裁判員制度との間合いは絶妙ですよね。今後の周防監督の活動に注目です。


とまあ、ここまでいっておいて、まだ映画を見ていないので
近々見に行かねば。