科学と宗教はどれほど違うのか

マ儿コさんの
http://d.hatena.ne.jp/Marco11/20070107/1168130686
について、コメントを書こうとしたらめちゃくちゃ長くなりそうな予感だったので
エントリーで書いてしまいます。

科学といっても、科学哲学なんて分野があるくらいで
その定義について、いろいろ賛否両論、喧々諤々の議論が繰り広げられているのでしょうが
とりあえず小生の好きなカール・R. ポパーの理論に基づいて話をします。

たださ、科学だって信じてるだけじゃん。

どうせ大半はニュートン力学を信じてて、それがこの世の理(ことわり)だって勘違いしてるんだろ?って思う。時間は絶対だってのが科学的だと思ってるんでしょきっと。それって、亀の甲羅の上に像がいて、その上のお盆に世界があるって信じてるのと、基本的には同じことだよね。だから科学だって信じることで成立してるかに見えるだけ。宗教とあんまり変わりないよね。

科学、宗教ともに信じているだけというのは、悲しいかな真実です(数学、論理学は微妙なところですが)。
しかし、両者の間で徹底的に違う点は「反証可能性」の有無です。
反証可能性とは、簡単に言ってしまうと、偽であることを示す余地があるかどうか、ということです。
例えば、「明日の午後3時に東京の大手町で大雨が降る。」という命題は、明日の午後3時に大手町にいて
雨が降らなかったら偽ということが簡単に確認できます。
それに対し、「明日、日本のどこかで大雨が降る。」という命題になると
一気に偽であることを確認するのは難しくなります。これの極端な例が、俗にいう悪魔の証明ってやつです。


そして、科学の立場では反証可能性の高い命題の方が、情報として価値があると考えます。
「明日、雨が降る」という情報は、「向こう一週間のいずれかで雨が振る」という情報よりも
否定される可能性が高い分、価値があると言えます。
というわけで、「神様が存在する」という命題は反証可能性の観点から、科学と対極の位置にあるわけです。
基本的に、来世の幸せを提供する宗教の教えは、反証可能性がないと思います。
ちなみに似非科学も、反証可能性がないのが一般的です。


ただ、密教のような「現世での幸せ」を提供する宗教もたまにあるので
その場合の反証可能性はどうなんだ、と言われるとちょっと言葉に詰まってしまいますが・・・。
おそらく、個々の教えをきっちり吟味すれば、おそらくほとんど反証可能性がないと思います。